映画ファイトクラブを解説。これは「漢」の教科書。人生で活かすには?
今日は映画ファイトクラブを解説します。
この映画は僕にとってバイブル映画。
めちゃくちゃ奥深いし、めちゃくちゃ面白い。
まじ、価値観ぶっ壊れるので、まだ見てない人は絶対見てください。人生の教訓を得れます。
「漢」の教科書とも言える。
1999年のアメリカ映画。監督はデヴィット・フィンチャー、原作はチャックパラニューク。
ネタバレも解説していくので、それでも良ければ見てください。
今回はあらすじをがっつり解説する感じではなくて抜粋して学べる部分だけを切り取っていきます。
本編、気になる方はAmazonPrimeで見れるので見てみてください。
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目次
・ファイトクラブのあらすじ
あらすじを書くと、簡単に言えば
現代において生活が企業の商品で埋め尽くされ過ぎて、多くの人が、無意識的に目の前に並べられたカタログから選ぶだけで生きてる。
だから、服や車や家具を買うとき、ただ服や車を買うんじゃなくて、それを選ぶことで他者に対して自分はこういう人間だとアピールしてる。
「でも、服や車はお前自身じゃない」
「本当のお前はどこにいる?」
という主張。
物質的な物でしか世界を見えなくなってるよねと、
例えばブランド物の服を着てる人はリア充に見えたり、高級車に乗ってる人が幸せそうに見えたり。
「でも、それって本当に幸せなのか?」ってこと。
物に支配されてるってのはゲームと同じじゃない?、それはロールプレイングと同じだから、生きている実感は希薄になってる。
つまり鬱病、不眠症になる人が多いよね。
だから危険だよ。ってのと同時に、
だからこそ、生きてる実感を取り戻そう!
そういう映画です。
主人公の「僕」と「タイラーダーデン」は
ファイトクラブを結成。
【お互いを殴り合って、生きてる実感を取り戻していく】って映画。
自己破壊と自己創造がテーマ。
主演のエドワードノートン(僕)、
ブラッドピット(タイラーダーデン)
この二人が、めちゃくちゃカッコイイ。
あと、タイラーダーデンが名言連発するから要チェック。
また、デヴィット・フィンチャーが素晴らしい。本編見て貰えば分かりますが、 フィンチャーは汚い映像を綺麗に見せるのが、ほんと上手いんですよね。
フィンチャーの他の映画は
セブン、
ベンジャミンバトン、
ソーシャルネットワーク、
ドラゴンタトゥーの女
この辺りも見ました。
それでは、ファイトクラブ解説はじめていきます
・不眠症
主人公の「僕」はノルウェイ製の高級家具に囲まれて、物質的に裕福な生活を送っているのに、なぜか不眠症という状態。
→医師に相談する。
→医師から「不眠症では死なないよ」と言われて突き放される。
→「君が苦しい? 睾丸ガン患者のグループに出てみろよ。あれが本当の苦しみだ」と、冗談交じりに言われる
→睾丸ガンではないけど睾丸ガン患者のグループに参加する。
→ そこで出会った元ボディビルダーでステロイドの過剰摂取により睾丸を失って、女性のような胸を持つことになった男性と出会う
→彼の大きな胸の中で思う存分泣くことが出来たことで、不眠症は改善。「僕」は良く眠れるようになった。
いやぁ〜自分より不幸せだろうなと思う、睾丸ガン患者のグループに交じって自分の幸せを確かめて良く眠れるって皮肉だけど人間ぽいな、、
タイラーダーデンとの出会い
「僕」はそんな中、リコール調査の仕事で飛行機に乗る。
→そこで隣に座ったのが「タイラーダーデン」だった。
これがタイラーとの出会い。
「僕」と「タイラー」は正反対の人間。
「僕」
大量生産のブランド品に囲まれた、一流企業のパッとしない、さえない男。自分に自信がなく、常識人。
「タイラー」
カリスマ性があり、自信に満ち溢れたイケメン。頭のキレが良くて、人望が厚い、常識にとらわれない考えの持ち主。女性にモテる。
・後に「僕」は「タイラー」に憧れを抱くようになっていく
→手作りの石鹸を売ってるという「タイラー」と電話番号を交換する。
→時間経過
→自宅のマンションに帰ると、なんと「僕」の家が燃えていた。
→爆発事故でマンションを失った「僕」は、「タイラー」と酒場で飲むことに。
→語り合い。家具についての話になる。
タイラーのセリフ 「自分自身の所有物に、お前は支配されてる」
・会社に行くと、スクリーンいっぱいにスターバックスのコーヒーカップ。カメラはゴミ箱の中に入る。ファストフードの袋、発泡スチロールの容器、お菓子の箱、どのゴミにもブランドのロゴが入っている。
何もかも企業に所有されている。
欠落感を埋めようと、「僕」はまた商品を買うが、買った瞬間は高揚するが、すぐに欠落感が戻ってくる。
・タイラーの話を聞いた後に「僕」は物を買わなくなっていく
(感想)世の中の仕掛けについて
大量消費社会について考えさせられることが多いね。
ここまでで、なにを考えるかというと、
人生、全てが物に支配されてるってこと。
多くの人が、
「企業のロゴ」 「企業の商品」 「企業のブランディング」 「企業の広告、メディア」
によって作られた、外側の価値観で生きてる。
・クリスマス ・バレンタインデー ・ハロウィン ・マイホーム ・学歴 ・結婚 ・正社員 ・肩書き
これだってそう、全てが企業の戦略。
キリスト教でもないのにクリスマスがあったり、バレンタインデーはメーカーが仕かけたキャンペーン戦略だったり、
だから、
価値観も
夢も
目標も
ライフスタイルも
全てが企業の戦略通りで、生活の何もかもが企業に所有されている。
だから、
自分の人生を生きてるようで、他人の人生を生きて、
「自分の人生を生きれずに苦しんでいる」
そして、鬱病、不眠症が蔓延する。生きてる実感も湧かない。
これはファイトクラブだけじゃなくて今の日本においても言えること。
世の中にはいろんな仕掛けがあるってこと。それにまずは気付くべき
仕掛けがあることに気付かずに生きてる人がほとんど、これがやばい。
まずは世の中の仕掛けを知ることで、そして、次は自分が仕掛ける側になること。
なぜなら、仕掛ける側にならない限り、自分の人生は動かせないから。
仕掛ける側にならないと自信もつかない。
自信がつかないと稼げない、結果、仕掛けられる。みたいな
多くの人が自信を失っているのは仕掛けられてきた人生だから、
日本の学校教育ってのは答え探しの教育なわけで、外側に答えがあることを洗脳する。
「誰かが答えを与えてくれる」
と洗脳する。
「誰かが価値を与えてくれる」
と洗脳する。
そしたら、常に価値のあるものは自分の内側にあるんじゃなくて、自分の外側に価値があるんだと思い込む。
常に自分の外側に価値があると思ってるから自分自身に自信がつかない。
結果、外側に答えを求めて、また仕掛けられる。
このループ。
こうやって考えると世の中のカラクリが少しずつ見えてくる。
あと、物に所有されるって考えは現代において考えれるけど今は産業社会でもあり、情報社会でもあるから、人生が物にコントロールされてるし、情報にもコントロールされてるっていう視点で見ても面白い。
・ファイトクラブ結成
話を戻します。
自宅のマンションに帰って「僕」の部屋が燃えているところから。
→家がなくなる
→タイラーがバーで消費社会について語る。
タイラーのセリフ 我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困も誰も気にしない。それよりアイドル雑誌にマルチチャンネルTV、デザイナー下着、毛生え薬、ダイエット食品、ガーデニング……。何がガーデニングだ! タイタニックと一海に沈めばいいんだ! ソファなんか忘れちまえ!
→バーで話した後に、出口で解散しようとすると、「タイラー」から泊まっていかないか?と聞かれる。
→ただ、その条件として力いっぱい「タイラーを殴ること」が条件。
→殴り合いに発展していく二人
→共同生活スタート
→「タイラー」の家に「僕」が暮らすうちに「僕」は消費生活から少しずつ脱却。
→週末になると「僕」と「タイラー」は殴り合う日々を送っていた。
→殴り合いをする同士は、どんどん拡大していく。見物客も徐々に増え、次第にその人たちも殴り合いに参加するようになった。
→地下室で、ファイトクラブ結成
タイラーのセリフ 仕事の中身でお前は決まらない。預金残高とも関係ない。持ってる車も関係ない。財布の中身も関係ない。クソみたいなファッションも関係ない。
(感想)自己破壊
タイラーのセリフがカッコ良すぎて、厨二病心がくすぐられる。
このファイトクラブでは、地下鉄でお互いに殴り合うことをするんだけど、
大事なことは相手を殴ることじゃなくて、相手に殴られることだと思ってる。
なぜ殴られることが重要なのか?というと、
主人公の「僕」は物に、支配されていたことで不眠症になっていた。
物に支配されてることで、生きている実感は希薄になる。
ということは、「生」を感じれないってことはイコールで、「死」も感じれない。
逆に「死」を感じることができたら「生」を感じることができる。
だから殴り合って、血を流すことで「死」を感じるみたいな。
「死」を感じれると生きてる実感が湧いてくる。つまり「生」を感じれる。
これが不眠症からの脱却するきっかけ、
これは日本においてもそうで、日本みたいな豊かで、安全な国に生まれたら、生物として楽勝で、餓死なんてありえない。
これは良いことなんだけど、安全過ぎて生物として「死」を感じれないから「生」も感じれなくなってるよってことだね。
あと、言いたいことは
相手から殴られる時に大事なのが予期せぬ怪我をすること。ここがポイントだと思う
予期せぬ怪我ってのは想定外の体験。この想定外の体験が生きる実感を湧かせてくれるってことが伝えたい。
だって、産まれて〜死ぬまで全てが予測可能だったら人生面白くないよね。
想定外が人生を面白くするんだよと、
推理小説でも、初めから犯罪者が誰か分かってると面白くない。
結末が分からないから面白い。
本来、何が起こるかわからない世の中なのに、現代は完全に管理された安全な社会に生きてる。
多くの人は人生に安定、安全を求める。結果、想定外が起きない人生になる。
安定は情熱を殺し、不安定こそが情熱を生む
って言葉があるように、
予測可能で安全な世界は生きてる実感を希薄にする。
不安定が、生きる感覚を取り戻す。
想定外の体験が、生きる感覚を取り戻す。
・石鹸と車
石鹸のシーン
→ある日、警察から電話がある。
「僕」の自宅が爆破した事件について
→刑事は、爆発は意図的に何者かによって仕込まれた、事故ではなく事件だったと言う。
→タイラーは人間の脂肪から、手作りの自家製ダイナマイトを作れる。
→タイラーの石鹸には秘密があり、クリニックから盗み出した、人間の脂肪が原料になっている。
→そして、その脂肪もダイナマイトの原料にもなる。ここから、タイラーが「僕」の家を、ダイナマイトで吹き飛ばしたことがわかる。
→しかし、それを知った「僕」は、もはや何の負の感情も抱いていない。
むしろ、物からの解放者である、タイラーに対して感謝の念すら抱いていた。
→「僕」とタイラー、二人は石鹸作りを始める。
→ するとタイラーは「僕」に「手を出せ」という。
彼の手をつかんだタイラーは、手の甲にキスをし、薬品をそこに振りかける。
薬品は「僕」の手の甲を焼き、その激痛に彼はもだえ苦しむ。
タイラーのセリフ 苦痛を感じろ!どん底を味わえ!宇宙に最初に打ち上げられた猿と同じさ。苦しみや犠牲が尊いんだ!あがくのはやめろ。そして、いつか死ぬってことを恐れず心に叩き込め。
→薬品の激痛に耐える「僕」の姿に満足したタイラーは、酢をかけて薬品を中和し、ようやく「僕」を痛みから解放する
→タイラーの手の甲にも、同じ薬品の焼け跡があった。
車のシーン
→二人は車に乗り込む。
→「タイラー」は運転中のハンドルを離し、手放しでアクセルを踏み、車を暴走させる。
→助手席から必死で、ハンドルを操ろうとする「僕」。
タイラーのセリフ なぜ俺が、コンドミニアムを爆破したと思う?お遊びでどん底まで落ちることはできない。あがくのは辞めて、流れに身を任せろ!
→タイラーの気迫に押された「僕」は、ハンドルを手から離す。
→車を暴走させ猛スピードのままガードレールを越えて、車をクラッシュさせる。
→奇跡的に生き残る二人。
(感想)自己創造
ファイトクラブにでてくる石鹸はお洒落だよな~
ネットで石鹼を検索するとファイトクラブの石鹸の作り方が山ほど出てる。それだけ影響力のある映画なんだなと実感。
石鹸のシーン見てると、確かに石鹼作りたくなる。
前回は主人公の僕は殴り合いによって自己を破壊し、生きる実感を取り戻していく。
そして、物の支配から逃れ、不眠症が治ってく様子が描かれている。
じゃあ次はどーなってくの?ってはなしなんだけど、
これが石鹸と車のシーンで描かれている。
自己を破壊した後は、自己を創造していくステージに、
タイラーと僕が石鹸を作るシーンがあるんだけど、
なんで石鹸を作るのか?気になる人多いと思います。
実は、この石鹸は魂を表している。
英語にすると、
石鹸(SOAP)=魂(SOUL)
わかりにくいけど、韻を踏んでるわけですね。
映画で良く使われる手法。
つまり、このシーンでは石鹸を作ってるけど、
石鹸(SOAP)を作る = 魂(SOUL)を育ててる。
と言える。
主人公の僕は、なぜ物に支配されて心が満たされなかったか?
それは全て誰かが作った量産品で、そこにオリジナル(魂)なものがなかったから。と言える。
そう、全てが全部、借り物だった。
じゃあ、自己破壊して物の支配から脱却できたんだったら、次はオリジナル(魂)を育てていこうぜ。ということ、
オリジナルとか魂がわかりづらかったら、
個人の自意識みたいな感じで思ってもらったら、
現代的にいうと、
中学出て、
高校出て、
大学出て、
就職して、
気が付かない内に社会のレールに乗る。
結婚して、
家族持って、
良い家に住んで、
良い車を買って、
でも、「これがお前にとっての幸せか?」
これは誰かが作った幻想であって、
「それって本当にお前が決めたことなのか?」
ってことだよね。
そうじゃないなら、
オリジナル
魂
自意識
を取り戻して、育てろ!
そして、尖らせろ!
ということ。
タイラーのセリフに
いつか死ぬってことを恐れず心に叩き込め。
って名言があるけど。
これは、終わりがあることを心に叩きこめば、今、何をすべきなのかがはっきりとわかるよね。
終わりがあることを心に叩きこめば、 自分の内側にあるオリジナル(魂)を明確にできる。ってこと
車のシーンでのタイラーのセリフ
あがくのは辞めて、流れに身を任せろ!
これは常識にとらわれず、他者に依存せずに、自分の内から出てくるオリジナル(魂)に身を委ねろ。ってこと。
・僕とタイラーは同一人物、クレジットカード会社のビルを爆破
→ある時、タイラーが消えた。
→「僕」はタイラーを探す。
→全国にあるファイトクラブの支部を回っている間に、メンバーに「ここに来るのは2回目ですね」と言われる。
→そこで、ようやく「僕」とタイラーは同一人物であり、二重人格だったことに気付く。
→クレジットカード会社のビルを爆破する計画が進んでいる。
→タイラーは資本主義社会への恨みからクレジットカード会社を爆破したい、「僕」は計画を止めようとする
→ 「僕」はビルにたどり着く
→タイラーは自分だと強く念じる、「僕」は銃を自分の口に銃を突っ込み発砲する。
→タイラーは静かに息を引き取る。
→崩れ落ちていくビルを見ながら「僕」はマーラと手を繋ぎ、「これからはすべて良くなる」と言う。
※マーラは映画のヒロイン。今回の記事では説明してません。
(感想)破壊、想像、最後のステージは?人間の多面性
なんと、僕とタイラーは同一人物だったっていう。
自分が理想としてた人間を具現化して、それがタイラーだったってことだね。
これは最初に見た時は騙されるな〜、二重人格だったなんて思えなかった。
1回目と2回目を見る時に、見え方が全然違う映画だよね。
で、つまり、同一人物ってことは主人公の僕は自分で自分を殴ってファイトクラブを作るってことだよね、完全にやばいやつ。笑
それでは感想、、
タイラーは自分だと強く念じて「僕」は銃を自分の口に銃を突っ込み発砲して、タイラーは消える。 ↓ マーラと手を繋ぐ(映画のヒロイン) ヒロインっぽくはないけど(笑)←余談 ↓ ラストシーンはクレジットカード会社のビルが崩壊して終わり。
ここについて、
まずは【自分の口に銃を突っ込み発砲して、タイラーは消える】シーンについて、
ここのシーンだけど、これは人間の持つ多面性という特性をコントロールできるようになったんじゃないかって思う。
これは、心理学とか、脳科学とか、いろんな分野で分かってきたことなんだけど、
映画の主人公だけじゃなくて、人間ってのは正反対の自分が存在する特性を持つということ。
例えば有名な芸能人が不倫したり、野球選手が薬をしてたりして、炎上すること多いけど、
「あの人、誠実そうなのに〜」とか、
「真面目そうなのに〜」とか、
って声が多いけど、これは、その人の一面しか見てないわけ。
誹謗中傷、否定、批判をしてしまう人は、人間ってのは裏で別人格の自分を持つということを理解していない。
普段は温厚で優しくて、人の悪口を言ったりとか、ましてや人を殴ったりとか、人を殺したりとか、人の物を取ったりとか、そんなひどいようなことをする人間ではないと言う風にして、基本的には思ってるけど、
実際、いざ状況が変わって、何か起きた時には、中から、別の人格が浮き出てくることなんてよくある。
だから、人間は多面性を持つ。映画の主人公「僕」だけじゃなくて、人間はそういうもんだよ。ということ、
で、その多面性をコントロールできてはじめて個として自立できる。
それが自分の口の中で銃を発砲してタイラーを消すシーン。
「僕」はタイラーに依存しなくても、個としての自立ができるようになったということを表している。
次は【マーラと手を繋いで、クレジットカード会社のビルが崩壊】するシーン
最後のビルが破壊されていくシーンは、
主人公だけが見える、心象風景だと仮定する。(そもそも金融会社のビルを少し潰したところで、世界は変わらないから、恐らく心象風景)
これは、
・自分自身が物や他者からの依存を脱却できたこと
を表してる。
そして、マーラと手を繋ぐ、
これは、
・他者との共感性
・社会との協調性
を持てるようになったんだ。という証明を表してる。
冒頭で主人公の「僕」はサラリーマンとして社会と協調性を持ってるようには見えるけど、物や他者に依存してる限りは、協調性があるとは言えない。
物や他者に依存せずに個として独立することで、はじめて社会と協調性を持てる。
自己破壊 (殴り合うことで、物や他者の依存からの脱却) 自己想像 (オリジナル、魂を育てる、尖らせる。)
についてはこれまで説明してきた通り。
で、自己破壊、自己想像によって
育てて、尖らせたオリジナル(魂)を最後、社会の中に落とし込んでいく。
社会に生きる人間として、他者や社会との関係っていうのは、やっぱりきっても切り離せないんだよね。
何をするにも常に他者や社会との繋がりが必要。
だから、最後は尖らせたオリジナル(魂)を大事にしつつ、社会との協調性を持たせていきましょうということ。
自己破壊 自己想像 社会との協調性
この順番。このステップで真の漢になれると言いたいんじゃないか。
自分自身の信念は曲げないんだけど、それ以外の余分な価値観は柔軟に切り離して社会と協調していくことが大事だよ。ということ、
やっぱり映画見てると、タイラーダーデンはかっこいいんだよね。
カリスマ性も合って、女にモテて、好き放題生きて、社会の救世主かのように映る。
でも、タイラーに影響されてしまうとどうなるのかっていうと、
単純に社会で生きてく上で、完全にヤバいやつになってしまう。
普通に考えて、人の家を爆破したり、クレジットカード会社のビルを爆破するってイカれてる、笑
だから、見習うべきはタイラーじゃなくて「僕」を見習うべき。
「大量消費社会がクソだ!資本主義がクソだ!」って言ってても世の中を変えることは誰にもできないからね。
だったら、今の世の中を受け止めて、自分のオリジナル(魂)を大事にしつつ、世の中で上手く立ち回れる方法を考えた方が良いよね。ってこと。
自分のオリジナル(魂)を育てて、尖らせるだけで、社会との協調性がないと、ただのヤバいやつで終わってしまう。
まとめ
ファイトクラブは最高だなぁ。
この映画、公開された時はボロボロの評価だったらしく、ある程度時間たって大傑作映画に一変したらしい。
ファイトクラブは僕が一番好きな映画の作品なんですよね。
「自分は何者なのか?」
「自分はどこにいるのか?」
そんなことを考えさせられる。
最後にエンディングに流れる
where is my mind ?
のリンクを貼っておきます。
おわり