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絶望と後悔からのスタート。コンの物語

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「絶望と後悔からのスタート。」というテーマで書いていきます。

僕の学生時代に経験した絶望と後悔の物語です。

僕は1996年生まれの出身は大阪の松原市。

学生時代は、成績普通、運動普通で、何かで抜きん出た記憶もないし、

人に語れるような武勇伝もストーリーもない突き抜けられないことがコンプレックスでした。

ある時に、学校の進路相談があり

「大学の受験希望は?」

と聞かれた。

「とにかく自分の武器が欲しい。」
「ただ、自分の人生迷走中」

とりあえず伸び代がありそうな事はやっていこう。

という事で、大学と専門学校をWで通う事にした。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」じゃなくて、

「二兎を追う者は二兎とも得る!!」だー!

と、自分を言い聞かせた。

大学は生命科学科という珍しい学部で、タンパク質の抽出だったりネズミの解剖をする学部。

専門は美容の専門学校で、美容師になる為の学部。

大学の学部は特殊だったので変わり者が多かったのもあって、

アニメ好きなヲタクさんがとにかく多い。

専門は美容ということもあってギャルが多い。

朝は大学、夜は通信で専門に通う。

つまりヲタクとギャルに挟まれる生活。

「異次元、、」

グラデーションのある生活を送ってました。

今、振り返っても謎の選択です、、笑

人間、人生迷走すると何が起きるか分かりません。

人生が変わるような出来事があったとすれば、

19歳の時に人生で一番、

大好きだったお婆ちゃんが急死したこと。心臓発作だった。

亡くなる一週間前くらいに、お婆ちゃんと会った時は、

当時、始めたビジネスが忙しくて良く話しかけてくれる、

話も聞かずに、お婆ちゃんに無視を続けてしまっていた。

家族ってそういうところありますよね、、

いいところばかり感じるはずもなく、嫌なところの方が目についてしまうし、世代が異なるお婆ちゃんの昔話にはいつもうんざりしていた。

僕の家庭は両親が上場企業の役員をしていたので両親はほとんど家には帰って来なかった。

なので、いつもお婆ちゃんが家にわざわざ来て

家の家事をしてくれたり、

学校から帰ってからの遊び相手をしてくれた。

冷たくしてしまうこともあるけど、いつも優しいおばあちゃんのことが大好きでした。

お婆ちゃんは退職するまで服飾の大きい会社を経営していて実績もかなりあった。

だから、会社経営の話を聞くのも好きだった、

「体は資本」が口癖で、WiFiの事を「ウィーフィー」って読んでた事は今でもたまに思い出します。

夜に電話がなった。

見ていた映画があと10分で終わるタイミングだったから、その電話を無視した。

仕事が終わって携帯を開いたら、電話の不在着信と1件の留守番電話。

留守番電話には、母親から

「お婆ちゃんが亡くなりました」

と残されていた。

かけ直して話を聞いてみると、

「お婆ちゃんが心臓発作で亡くなった」

と聞かされた。

頭が真っ白になった。

本当は昔みたいに仲良くしたい。こんな冷たい態度を取っていたらダメだと思いつつ、気付くのが遅かった。

というより、気付いていたけど目を背けていました。

そんなこと分かっていたのに気恥ずかしく、強がってしまった。

「本当に馬鹿です」

どうして育ててくれたお婆ちゃんに、自分は優しくできなかったんだろう。

お婆ちゃんはきっと寂しかったはず、

亡くなってからこんな事思うなんて本当に愚かです。

なぜ、自分は数日前にお婆ちゃんに優しくできなかったのか、、、

絶望と後悔がだんだんと襲ってきて、周りもはばからず、泣き崩れた。

そこから後日、通夜と葬儀。

あまりに突然のことに現実が受け入れられない。

式が進んでいき、

もう何も話すことは出来ないんだ。

感謝の気持ちを伝えることも、冷たい態度を取ったことを謝ることも出来ない。

これを機に僕は次のことを誓いました。

・人の気持ちを汲み取り、関わる人の人生を好転させること。
・一度切りの人生を持て余す力なくして、持つ資源を可能性に投資して社会に貢献すること。

こうして、僕の人生はこの一件を機に人生を変革させていくことになる。

今まではそれなりの人生を歩めればいいやと思っていたが、今はもうそんな訳には行かない。

実現可能かは分からないが、とことん攻めた人生にすると決めた。